『境目』
・・・・・少し、緊張した。
長い間学校を休んで、久し振りに教室のドアを開けるときみたいな、ほんのちょっとの緊張感。
だけど私はドアノブに手をかけ、かちゃりと音を立てて店の中に入った。
「・・・・・・・ひ、久し振り」
店の中お客さんはいなかった。
当然と言えば当然だ。だって今はお茶を飲みに来る時間帯じゃないしね。
今はちょうど朝の8時を回ったところで、カフェの中は店長のカールさんと店員のケティが
机を拭いたり、机の上に置いてある花瓶やテーブルクロスを整えたりしていた。
ただ静かに変わらず流れているのは、・・・私には何の曲だか判らないけど、落ち着くクラシックだった。
ケティは手にしていた布巾をふん投げて私の方にずんずんと向かってきた。
「ティナ!!」
「・・・もしかして、まだ開店してなかった?」
「そんなことどーでもいのよバカッ!」
その言葉に、少しカールさんは反応したようだった。
「それより、最近見かけなかったから心配で・・・・」
「あはは、大袈裟だなぁケティってば。ほんの数日来なかっただけで」
「だからよ!いつものアンタなら毎日来てケーキむさぼって帰っていくのにっ」
「・・・そ、その野生児っぽい言い方やめてくんないかなあ」
「とにかくっ。今まで溜めてきたこと洗いざらい話してもらうからね!」
店の隅っこのテーブルに二人座って、お茶をしながら私はぽつりぽつりと話し始めた。
青空牧場でスイカを食べていたとき、ブルーにキスされたこと。
何の挨拶もなくみんなを振り切って出ていってしまったこと。
・・・・・だけど、私はダンとのことは何となく話す気になれなかった。
そしてついにケティは話の核心をついてきた。
「・・・で?ブルーとはどうなったのよ?」
「うん」
私は驚かれるのを覚悟で、一息ついてからはっきりと言った。
「フラれてきちゃいました」
「・・・・・・・はあぁ?!」
ケティはカフェ自慢のアールグレイの紅茶をこぼさんばかりにテーブルを叩き、カールさんをびっくりさせていた。
「フ、フラれ・・・・・?」
「うん、そう」
ここまで相手が動揺すると、かえってこっちは落ち着くもんなんだな・・・
ダンと話しているうちに吹っ切れた私は、次の日に早速ブルーを訪ねていった。
吹っ切れたと言っても、やっぱり昨日の今日。
ブルーと顔を合わせると、私は思わず目を逸らしてしまった。
「あ、ご、ごめん。今、ちょっと出られる?」
「・・・・ああ、大丈夫だ。ちょうど動物たちのエサやりも終わったとこだし」
「そっか。じゃあ、私についてきてもらえる?」
しばらく歩くと、ちょっとどころじゃないな、と後ろでブルーのぼやく声が聞こえてきた。
そう言いたくなる気持ちも判らなくないけど、どうしてもここじゃないと駄目だと思ったし。
私は足を止め、後ろにいるブルーと向き合った。
「・・・・・ここ。覚えてる?」
山を少し登ったところにある丸太の橋。そのすぐ近くの、石が散々散らばっている辺り。
大分前、ブルーに助けてもらった場所。
「ここか・・・確か、お前が足をひねって・・・・・」
私はブルーの言葉にこくんと頷くと、あの日のことを思い出した。
その日の私はいい釣りスポットを見つけて、ほぼ一日中釣りをしていた。
思い掛けず大量に釣れたもんだから、浮かれてたのかもしれない。
帰ろうとしたとき、足元に転がっている石にダイレクトに突っ掛かり、転んでしまった。
勿論、バケツに入っていた魚は四方八方に散らばって、私の左足首はズキズキ痛みだし、
もう子供みたいに泣いてしまおうかと思ったそのときだった。
魚を一匹ずつ丁寧に拾い、バケツに戻してくれている。
そして座り込んでいる私の手をぐいっと引っ張り、立たせてくれた。
「・・・・・捻挫か?」
「う、うん、多分。・・・ブルー、どうしてここに?」
「オジさんの頼みで魚釣りに来てた。帰るときちょうど、お前がコケるところ見かけて」
「うわ〜・・・・は、恥っずかしいトコ見せちゃったねぇ」
「いいから、ほら」
「え?」
人をおぶるときのポーズをして、私を促した。
「い、いいよいいよ!そんな迷惑かけられないしっ」
「・・・・お前に拒否権ある?」
「・・・・・・え、えーと・・・・・・・・・ない、です」
「じゃあ、おぶされ」
本当にドキドキした。
おぶさっている間、心臓の音が聞こえないかとか、男の人とこんなに密着したの初めて、とか・・・
優しくしてもらって、好きになったんだ。
「ねえ、ブルー」
「・・・・・?」
「なんか、違ったみたいなんだ」
「・・・・・・・・・何が?」
「あの日、助けられて優しくしてもらって・・・・・私は、ブルーを好きになった」
「・・・・・・・・」
「だけどね、それって違うと思う。私、純粋な『好き』じゃないと思うんだ」
私が話している間、ブルーは押し黙っていた。
少し冷たい山の風が、私とブルーの間をすり抜けていった。
「だから・・・・・お前、あのとき嫌がったのか?」
「・・・・・・・・、うん」
きっとあのキスのあと、ブルーも考えていたんだろう。
ごめんね、私のせいで悩ませてしまって。
もう、終わりにしよう。
「あのね、ブルー・・・・・」
「・・・わかった。別れよう」
えっと思った。
ブルーから言ってくるとは思ってなかったし、それにあっけなさ過ぎて。
それから山を下っていったのは覚えているけど、その間何を考えていたかは覚えていない。
ただ、不思議と涙は出なかったよ。
ああ、終わったんだなぁ。
・・・・そんな感じ。
「・・・・そんな感じかな」
「そんな感じって・・・・ティナ、アンタ平気なの?」
「ん・・・・何でだろうね?あんまり悲しくない」
「普通は失恋したら女ってのは泣くのが多いけど」
「・・・・・・・普通じゃないんじゃない?」
「そうね。普通じゃ・・・って自分で言ってどうすんのよ」
「あははっ。・・・・・・だけどさ、もう恋とか付き合うとか、もういいや」
「何言ってんの!終わった恋には新しい恋!!」
「う〜ん。もう疲れたのかも、しんない」
「またアンタは婆様みたいなこと言って」
・・・・・・・本当は、そんなこと思ってないんだよ。
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